1962年12月3日に開かれた第2回教団常議員会において8月第1主日を平和聖日とすることが決議され、以来日本基督教団の諸教会ではこの日を平和を覚えて祈りつつ礼拝がささげられています。

1941年、戦時下において宗教団体法が実施され、当時の政府の要請により 30 余りの様々なプロテスタント系キリスト教会が合同し、「日本基督教団」が成立しました。
戦後、この宗教団体法が廃止され、日本キリスト教団を離脱する教会もありました。
そして新たに日本キリスト教団の教憲、教規が定められました。
1961年に「信仰告白」が制定され、1967年には戦争に対する深い反省と悔恨を込め、 「第2次大戦下における日本基督教団の責任についての告白」(下記)が出されました。

*・*第二次大戦下における 日本基督教団の責任についての告白 *・*

わたくしどもは、1966年10月、第14回教団総会において、教団創立25周年を記念いたしました。
今やわたくしどもの真剣な課題は「明日の教団」であります。
わたくしどもは、これを主題として、教団が日本及び世界の将来に対して
負っている光栄ある責任について考え、また祈りました。
まさにこのときにおいてこそ、わたくしどもは,教団成立とそれにつづく戦時下に、
教団の名において犯したあやまちを,今一度改めて白覚し、
主のあわれみと隣人のゆるしを請い求めるものであります。

わが国の政府は,そのころ戦争遂行の必要から、
諸宗教団体に統合と戦争への協力を,国策として要請いたしました。
明治初年の宣教開始以来,わが国のキリスト者の多くは、
かねがね諸教派を解消して日本における一つの福音的教会を
樹立したく願ってはおりましたが,当時の教会の指導者たちは、
この政府の要請を契機に教会合同にふみきり,ここに教団が成立いたしました。

わたくしどもはこの教団の成立と存続において、
わたくしどもの弱さとあやまちにもかかわらず
働かれる歴史の主なる神の摂理を覚え、
深い感謝とともにおそれと責任を痛感するものであります。

「世の光」「地の塩」である教会は,あの戦争に同調すべきではありませんでした。
まさに国を愛する故にこそ,キリスト者の良心的判断によって、
祖国の歩みに対し正しい判断をなすべきでありました。

しかるにわたくしどもは,教団の名において,あの戦争を是認し、支持し、
その勝利のために祈り努めることを,内外にむかって声明いたしました。
まことにわたくしどもの祖国が罪を犯したとき、
わたくしどもの教会もまたその罪におちいりました。
わたくしどもは「見張り」の使命をないがしろにいたしました。
心の深い痛みをもって,この罪を懺悔し,主にゆるしを願うとともに、
世界の,ことにアジアの諸国,そこにある教会と兄弟姉妹、
またわが国の同胞にこころからのゆるしを請う次第であります。

 

終戦から20年余を経過し,わたくしどもの愛する祖国は、
今日多くの問題をはらむ世界の中にあって、
ふたたび憂慮すべき方向にむかっていることを恐れます。
この時点においてわたくしどもは、
教団がふたたびそのあやまちをくり返すことなく、
日本と世界に負っている使命を正しく果たすことができるように、
主の助けと導きを祈り求めつつ、
明日にむかっての決意を表明するものであります。

1967年 3月26日復活主日
日本基督教団 総会議長 鈴木正久